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@尾瀬大納言
 これは福島県檜枝岐村に伝わるお話です。
 その昔、以仁王(もちひとおう)という落ち武者が、戦を逃れ山奥にある檜枝岐村にやってきました。以仁王は一晩だけこの村に泊まるつもりでしたが、お供の尾瀬大納言藤原頼国公が病に倒れてしまいました。追っ手を恐れた以仁王は、頼国公の回復を待たずに、ほかのお供たちとこの村を後にしていきました。
 数日後、ようやく病状が良くなった頼国公は以仁王の後を追い、さらに山奥へと入っていきましたが、どちらの方角へ行けばよいかかいもく検討がつかなくなってしまいました。頼国公が足をとどめたその場所は、広い高原地帯となっており、人の気配がまったく感じられない地であったため、そのままひっそりと暮らすことに決めました。
 「尾瀬」の由来は、この地で生涯を過ごした尾瀬大納言頼国公の姓からとったと伝えられており、檜枝岐村の中土合公園には石像が建てられています。


A竜宮
 群馬県片品村に伝わるお話です。
 尾瀬ヶ原の中ほどに、竜宮と呼ばれる場所があります。ここでは、山から流れる沢の水が渦巻きながら突如湿原の中へと消え、50メートルほど先のところでまた湧き出すという不思議な現象が見られます。
 この現象が発見されたのは大正10年、尾瀬ヶ原にダム計画が持ち上がり、関東水電(現在の東京電力)が測量を行っていたときのことです。第一発見者である当時の富士見小屋主人は沢の水が穴の中に吸い込まれるのを見て驚き、「この渦の先はきっと竜宮城に続いているに違いない」と噂を立てたことから、この地を「竜宮」と呼ぶようになりました。
 その後の調査で、沢水は湿原の底にできた空洞の部分に吸い込まれたものが、伏流水となって再び外に吐き出される仕組みになっており、さらに洞くつ状になった穴の中は、人が通れるほどの広さがあるということがわかりました。
 また、竜宮にはもうひとつ、水が吸い込まれる穴の形が竜の口に見えるということからその名が付いたという説もあります。

 

★学習コース
伝説@は、沼山峠休憩所までの道のりの途中、バスで通る檜枝岐村のお話です